きょうは一日部屋の片付けをしていた。(まだ片付けたいところがいくつか残っている。)こんな学生一人暮らし用1Kの小くて狭い部屋なのに、どうしてこんなに片付けるところがあるのだろうかと思う。
久しぶりに部屋の模様替えをし(じっさいは部屋の模様が変わる程の“模様替え”はなく、こたつ机にしまっていたこたつ布団を出してきてかぶせた程度なのだけど。)、当初片付けようと思っていた扇風機は結局もとあった場所から少し移動しただけで夏と変わらぬ姿のまままだ部屋にあったりする。
部屋をざっと見回して朝から変わったところといえば、こたつが冬モードになったことと、机の上(家には3つ机がある。小さなダイニングテーブル、こたつ机とおばあちゃん家から持ってきた古いちゃぶ台。)と床に平積みにされていた授業のプリントやら、ゼミのレジュメやら、何かの通知のハガキやら、図書館や友達から借りたきりほとんど読んでいない本やら、ネット販売のカタログやら、“やらやら”が、その平面に広がりを見せていた様子から形を変え、「種類」や「大きさ」や「イラナイモノ」によって分類され、束ねられ、端を揃えられて、垂直に立ちあがったことぐらいだ。(あるいは紐で縛られて積み上げられるか、市指定みどりの燃えるゴミ用袋にぶちこまれた“やらやら”もいる。)
そしてその作業と同時進行で、垂直に立ちあげられた“やらやら”が入っていく場所をつくるために、クローゼットの“中身”や本棚の“中身”を外にぶちまけたり、大いに広げたりする。そして大いにぶちまけられた“中身たち”をまた「イルモノ」と「イラナイモノ」に分け、さらにイルモノを“良く使うもの”と“今はイラナイモノ”に分けて、再度箱に詰めたり場所を変更させたりする。(こういうこと、つまりモノを整理整頓、あるいは再・整理整頓することはなぜ自分にとって必要なのだろうか。)
そうして新しく秩序付けられた“やらやら”やら“中身”やら“中身”をまた、つくられた場所に一つ一つ置いていくという作業をした。それをしたらすっかり夕方近くになっていた。
もちろんその作業をぶっ通ししていたわけではなく、途中音楽を聴いたり、ネットをしたり、ぼーっと(休憩)したり、掃除機をかけたり、トイレに立った勢いでトイレ掃除をしたり、久しぶりにご飯を炊いてそれなりのおかずを作って食べた(部屋が“そんな”状態だったので台所でキッチンイーターになった。)り、写真を見て手紙を読んで思いを馳せたりと色んなことを片付けの間にした。
そしてひと段落した今、なぜかそのことをブログにつけている。
きょうはそんな、どうでもいいようだけど自分にとっては大切な一日。